2014年2月2日日曜日

【書評】『終わりの感覚』ジュリアン・バーンズ(著)、土屋 政雄 (訳)




 有名な日本の歌謡曲のタイトルにもなっているように、人生とは川の流れのようなものだ、とたとえる人は多いかもしれない。この本が教えるのは、しかし、その川は「身をまかせて」いれば済むようなおだやかなものでは決してないということだ。時として、川は、中盤、象徴的に記される潮津波「セバーンボア」のように逆流し、人を圧倒し、途方に暮れさせる。そのとき「宇宙のどこかで小さなレバーが押されたかのよう」に自分の中の重要な何かが決して修復することのできないまでに損なわれる。
 
 「終わりの感覚」はイギリスの作家ジュリアン・バーンズのブッカー賞受賞作である。

作品は二部構成となっている。主人公は語り手であるトニー。前半は彼の青春時代がノスタルジックかつユーモラスに語られる。物語の中心となるのは彼と、彼の恋人ベロニカ、そして、哲学的で優等生の友人エイドリアン。友情あり、ぎこちない恋愛あり。どこかイケてない男子の成長物語のような滑稽さもあり微笑ましく軽快に読ませる。しかし徐々に不穏な影が忍び寄る。トニーと別れたあとベロニカはエイドリアンと付き合っていた。そして突如訪れるエイドリアンの自殺という衝撃。深い謎の予感を引きずりつつ後半へ。時は過ぎ、結婚、離婚を経て60代になったトニー。ある日、弁護士を通じてある人物がエイドリアンの日記を彼に遺したいとの連絡がくる。それはベロニカの母の遺言だった。なぜエイドアンの日記が彼女のもとにあったのか。そしてその引き渡しを固く拒否するベロニカとの再会。拒否の理由は何か?何か心に秘めたような彼女の態度の真意は?物語はいっきにミステリーの様相を呈しボルテージはあがる。
 
 巧妙な仕掛けと筆力で最後の1行まで片時も読者の心を離さない。最終ページを閉じた後、自分の人生における様々な「時間」に思いを馳せない読者はいないだろう。そしてその思いはその後もずっと彼/彼女のなかに渦巻き、現状の安定を足元から揺さぶることになるのだ。こんな怖い読書体験をよくぞさせてくれたものだ。友情、恋愛、ミステリー、そしてスリラーと様々な要素を絶妙にブレンドし、読者をひとときも飽きさせない一級のエンタテイメントとして成立しているとともに、時間という人生最大のテーマを深くじっくりと考えさせる哲学的な書でもある。それはあたかも熟練した職人の手による機械式時計のようで、数々の歯車が精緻に組み合わされ、微小なネジで寸分の緩みもなく仕上げられた悔しいほど美しい文学である。M